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甘ーーいレインボーキウイ

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先日、レインボーキウイを送っていただいた。さいきんになるまでこんなキウイがあることを知らなかった。酸味が少なくて普通のキウイよりずっと甘い。静岡県の生産者によって開発されたとかである。贈ってくださった方は静岡県在住で、自分の家の庭にできたものを送ってくださった。 送り主とは半世紀以上のお付き合いである。私がシスターの卵としで静岡県裾野市にいたころ、日曜学校の先生をしていた。小学生と中学生に30分ほど聖書の話をして、そのあと4,5人の中学生たちに15分ほど英語を教えた。その一人だったと思う。彼らは裾野市内から修道院まで歩いてくるのだが、子どもの足で1時間はかかったのではないかと思う。 4,5人の中学生のうち、一人は数年前に亡くなった。他の人たちとは次第に連絡が途絶えたが、キウイの送り主とは半世紀以上、お付き合いが続いている。孫が3人ほどもいるおじいちゃんになった彼とのご縁を、キウイのせいばかりでなく、とてもありがたく思っている。

キンモクセイの香り

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久しぶりの秋晴れで庭に出たら、いい匂いがした。見回すとキンモクセイの花が満開だった。3年ほど前にもブログに書いたが、キンモクセイは私にとって終戦を思い出させる。強制学童疎開から家に戻った時にその香りを知ったから、その喜びと結びついている。香りが芳香剤に使われて、トイレを連想させたりするのは残念だ。 今も世界のどこかで、花の香りどころではなく苦しんでいる子どもや大人もいる。自然が惜しみなく与えてくれる喜びをすべての人が味わえますように、と祈る。   0  44 

聖心女子大学内古墳!!!

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広尾にある聖心会修道院の大聖堂前中庭に築山がある。この場所を知るようになって半世紀以上も過ぎたつい先ごろ、仲間のシスターとのおしゃべりで、この築山が古墳であることを知った。 『東京都遺跡地図』には渋谷区の遺跡番号95番として登録されているとのこと。 昭和57年(1982)に行われた東京都心部遺跡分布調査の古地図の調査により把握されている。昭和60年(1985)に発行された『都心部の遺跡』には「5千分の1東京図に墳丘が認められる。今回の調査で確認」と書かれている。 (「古墳なう」http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-entry-641.html?sp 参照) 聖心大正門を出て左に折れて少し行ったところにチェコ大使館がある。そこにも同様の円墳があるとのこと。小型の古墳が多く作られるようになるのは、古墳時代でも後期6世紀になってからとされる。聖堂前中庭の築山と思っていた盛り土が古墳で、6世紀からここにあったのか。 京都生まれ京都育ちの私は、東京は歴史が浅いと何となく見下げていたことに気付く。「東京さま、失礼いたしました」という感じである。

ラザロと金持ち

先週土曜日のミサの福音朗読は、次のような貧しいラザロと金持ちについてのたとえ話だった。 ――できものだらけで貧しいラザロは、金持ちの門前で横たわっている。やがて 二人がなくなると、 ラザロは宴席にいるアブラハムのそばに招かれ、金持ちは陰府(ヨミ)でさいなまれる。( ルカ福音書 16:19-31)―― この福音箇所の朗読のあと、 若いフィリピン人のチャーリー神父が少々ぎこちない日本語で懸命に説教をしてくださった。 「聖書のなかで名前が出てくるのは大切な人物だけです。ラザロという名前が出てくるのは、神さまが貧しいこの人を 金持ちより 大切になさっているということです。」 私には最もピンときたこの箇所の解釈である。チャーリー神父自身、外国人労働者の多い葛西地区で働いておられる。彼が属する聖アウグスチノ修道会の総長であった現レオ14世も、教皇に選ばれる前は貧困層が大きいペルーで20年間働いておられたと聞いている。神さまと同じ選択をなさっているのだろう。 土曜日の夕方はどこの教会でも忙しい時間帯だ。それなのに遠方の葛西から渋谷の私たちの修道院に来てくださる。大半のメンバーは歩行器や車いすを使っていて、外の教会に行くことができない。その意味では貧しい私たちのために、わざわざ遠方から来てくださるのだろうけれど、ありがたいことである。

鳥の言葉

シジュウカラの鳴き声を研究し、それが言葉であり、文法をもつことを見つけた人がある。鈴木俊貴氏で、近著『僕には鳥の言葉がわかる』(小学館、2025年)には、シジュウカラの言葉の研究の過程と成果が、わかりやすく、楽しく述べられている。 シジュウカラは自分の仲間たちばかりでなく、同類の鳥たちやリスともコミュニケーションができるという。ジェスチャーでコミュニケーションをとることもあるとか。 ―― 「動物には言葉がない」 、「人間が最も高度な動物だ」、「人間は自然を支配する特別な存在だ」と言葉を並べ、そう思い込んできたのである。  そして、とうとう動物たちの言葉を理解できなくなってしまった。それどころか、自然とのかかわり方も、共生から利用へと変わってしまったのだ。今日解決されていない諸々の環境問題も、こうした井の中の蛙と化した人間たちの暴走によるところが大きいと、僕は思う。このままでは、そう遠くない未来、人類も地球も滅びるだろう。 ――(同上書161-162頁) シジュウカラは人間と同じことができない。しかしシジュウカラから見れば、人間ができないことがいろいろある。飛ぶことができない、シジュウカラ語を話すことができない。自分も動物であることを忘れかけている私に思いださせてくれることが詰まっている本だった。 カラスの言葉がわかりたいなぁ、と思った。

姿を消すスズメ

ミソサザイについて書いた9月3日のブログで、スズメを見かけない気がすると書いた。9月8日の朝日新聞朝刊の記事で、私の気のせいでないことを知った。 ーー環境省と日本自然保護協会の調査による2024年10月に発表された内容のまとめによると、15年度以降、スズメは1年あたりマイナス 7.4%と急激に減っている。減少率だけで見ると、絶滅危惧種の判定に相当する減り方である。また、08年度から22年度のデーターを解析すると、スズメの個体数が、15年のあいだに約40%減っているーー AI などの技術的な発達と並んで、自然界は次第に貧しくなっているのだろうか。私たちの生活の質はより豊かになっているだろうか。疑問になる。  

言えなかったことば

「英語が話せないんです」情けなくて…という感じで若い人が言った。その場にいた私と同年配の人が「英文科卒なのに?」と言った。 すでに惨めな思いを話している人に対して、ひどいことを言うと思った。でも、どう言えばいいのか、言葉ば見つからない。黙ってその場にいた私は、その言葉に賛成していたことになる。 そろそろ卒寿を迎える私たちが学生のころ、聖心大の一年次生は、8時から10時まで10分の休み時間をはさんで英語授業だった。一学年110人くらいの時代で、能力別に10クラス位に分かれていた。10人そこそこのグループで英語国人のシスターに教わった。当時、土曜日にも授業があったと思う。語学学校のようなもので、うまくならなければおかしい環境だった。さいきんの状況とは、全く違う。 それに英語が話せるからって、別に上等な人間であるわけでもなし。私のなかでいろいろな思いが重なり、言葉にできなかった。 今になって、そのまま「なんてことを言うの」と言えばよかったと思う。自分にダメ出しをしたくはないけれど、やっぱり後悔する。

戦争トラウマ

戦後80年になって、近頃の新聞で戦争トラウマについての記事をたびたび見受ける。そのたび、私が娘時代に通っていたカトリック教会の司祭を思い出す。主任神父はアメリカ人で、その人は助任だった。戦時中、一兵卒として従軍したが、戦後、司祭職に戻られたと聞いていた。夜中になると大声で叫ぶといううわさがあった。 あるときからこの方の姿が見られなくなった。司祭をやめられたとのことであった。辛くて苦しい記憶を抱えておられたのであろう。 名もない多くの人にも、戦争の残酷な爪あとは残っているのだろう。知る人もなく。

ミソサザイ!?

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私の部屋は3階にあり、中庭に面している。木々がうっそうと茂って、部屋の窓の前まで伸びている。朝6時半ころ、部屋で窓に向かって祈っていると、この木に小鳥たちがやって来るのが目に入る。まっ黄色だったり濃いブルーだったり、見たこともないような鳥たちのことがある。東京生まれ・東京育ちのシスターに尋ねると、近くにある目黒自然教育園にいる小鳥ではないかという。 2・3日前に来た鳥は、スズメより小さかった。しゅんかん、「ミソサザイ」と思った。自信はないけれど、80% そうだと思う。次の日も来た。チョコチョコと姿を見せたが、すぐに見えなくなった。 自然が少ないと思っていた東京で、こんな小鳥たちに出会えるのは嬉しい。それにしては、このごろスズメをあまり見かけない。

最大の社会貢献とは?

「自分へのダメ出しをやめると、自分だけでなく他者や社会にも優しくなれます。だから最大の社会貢献は、自分と親密になることなのです。」 一緒に住んでいるシスターが「ちょっと面白そうだから買ってきた。まだ読んでないけれど、先にどうぞ」と、貸してくれた本からもらったメッセージ。題名は『なぜか惹かれる人の話し方100の習慣』(藤本梨恵子著、明日香出版社)。 自分へのダメ出しをやめ、あるがままの自分も受け入れることで自他ともに愛することができる、という著者のことばは、聖書の「自分を愛するように、人を愛しなさい」という言葉を思い出させる。自分を愛さなければ、人を愛することはできない。そのためには、自分へのダメ出しをやめることを著者はすすめる。 また、完璧主義から適当主義になりリラックスして本領を発揮する、心が引き潮のときは一人の時間をもって英気を養うこと、などなど具体案を提示している。 教わることがたくさんあった。

子どもの視点

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8月19日の朝日新聞朝刊にのっていた記事に笑ってしまった。鷲田清一さんが選ばれる文章はいつも秀逸だ。それもあらゆる文書から選ばれる。  

残暑お見舞い

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  右画像のような残暑お見舞いのはがきをいただいた。カラスと坊やがおしゃべりしている感じがする。カラスはいかにもいたずらっこぽい。 ずっといぜん、下町に住んでいたことがある。家々が連なり緑が全くない。緑を探して歩いていたら、木々が茂るお寺を見つけた。お寺裏の墓地をうろついてたときに見た光景を思い出した。 カラスが、プルトップ缶の開口部分をくわえ、そのまま2メートルほど飛び上がり、そこから落とす。石畳みの上に落ちた缶がカラカラと音を立てる。またくわえて飛び立ち、落とす。それを繰り返していた。音を楽しんでいたのだろう。ガーコと出会うずっと以前のことである。 このはがきは今も私の机の上に置いたままである。スヌーピーのぬいぐるみと並んで。