投稿

金子みすゞの信仰

金子みすゞの詩集を読んでいる。「蜂と神さま」というタイトルの詩は次のようである。      蜂はお花の中に、      お花はお庭の中に、      お庭は土塀の中に、      土塀は町の中に、      町は日本の中に、      日本は世界の中に、      世界は神さまの中に。            そうして、そうして、神さまは、      小ちゃな蜂のなかに。 これを読むと、「私も同じ信仰をもっている」と思う。  「蓮と鶏」という詩には、別の感想を持った。      泥の中から      蓮が咲く。      それをするのは      蓮じゃない。      卵のなかから      鶏(トリ)が出る。      それをするのは      鶏じゃない。      それに私は      気が付いた。      それも私の      せいじゃない。 蓮を咲かせ、ひなをかえらせる大きな生命力、すべてのものに宿る神さまの力が存在する。それに気が付いたのは、自分でできたことではない。自分に宿る同じ神さまの力だということが、最後の節の「それも私のせいじゃない」に含まれるだろう。 私なら「それに私は気が付いた」で終わってしまう。みすゞの信仰の深さに心を打たれた。

選挙

選挙に行った。ものぐさで、政治にはあまり関心がなく、これまで選挙もすっぽかすことが多かった。でもお金まみれの現状が腹立たしく、今回は投票したくなった。 Center for Action and Contemplation というサイトを薦めてくださったれた人があって、購読している。Richard Rohr というフランシスコ会の司祭が主宰している。申し込むと毎日送ってくる。無料である。今朝読んだそのサイトの記事に、「何も言わないことは現状維持の賛成を表現する」とあった。 投票に行って、よかった。

ゆるし

――問題は、わたしたちがゆるしを求めるのに倦むことです。ゆるしを求めるのを望まず、それに倦んでしまうことです。神は倦むことなくゆるしてくださいますが、わたしたちは、時としてゆるしを求めるのに倦むのです。ゆるしを求めるのに倦んではなりません。決して倦んではなりません。神は愛に満ちた父です。このかたはつねにゆるし、わたしたち皆に対してあわれみの心をもっておられます。わしたちもすべての人にあわれみ深くなることを学ぼうではありませんか。  今、ご一緒に祈りましょう。 (お告げの祈り)―― 以上は、教皇フランシスコが教皇職における最初の「お告げの祈り」のおりに、教皇公邸書斎の窓から述べた講話の一部である。(「教皇フランシスコ講話集 I」ペトロ文庫参照)

インターネット不通

23日の朝、インターネットにつながらない。私はモバイルルーターを使っている。いつもと同じ操作をしてもダメである。本部修道院のIT関係を担当してくださる方が来て、通信会社に電話をしても通じない。「これは長引くかもですね」と言われる。 もうそのころで、私の心臓はバクバク、血圧は200くらいに上がっていただろう。IT音痴の私が何かまた変なことをして不具合になったのだろう。その晩は不安で眠れなかった。 翌日、本部修道院の方から電話があり、「解決したようですよ」。すぐに入力する。 インターネットにつながり、通信会社からのお詫びのメールが入っていた。会社の方の不備だったらしい。アタックでも受けたのだろうか。私の操作間違いでないこともあるのだ。

米寿の手習い

なにか楽しいことを始めたくなった。けん玉も考えたが、バランスを崩してけがをしてもと思い、ハーモニカにした。まずハーモニカを手に入れなくちゃ。ネットで検索して、小学生・初心者用15穴のものを購入。¥1,500也。届いたものをさっそく試してみた。 息を吹いたり吸ったりして、まずドレミファソラシドができるか試す。聖歌集の中からC調のものを選んで吹いてみる。楽しい!

菊地功大司教の本

東京教区菊地功大司教については、カトリック月刊誌「福音宣教」で読んだりして、好感をもっていた。シノドスについて忌憚のない感想を述べておられた。以前アフリカで活動なさっていたと聞いて、どんな仕事をなさっていたのか知りたいと思っていた。 彼が書かれた本があると知り、アマゾンで検索して、購入した。夕食後、届いたばかりの本をパラパラめくるつもりで開いたところ、面白くて吸い込まれるように読み続けた。最後のページに来たら、もう眠る時間になっていた。 本を閉じて机の上に置いたら、表紙が目に入った。『「真の喜び」に出会った人々』が本の題名だった。エッ!新興宗教の宣伝文のような題名だ。購入前に知っていたら、買わなかったかも。題名も確かめずに、ただ著者名だけで検索して購入したのだろう。 知らなくて、よかった。

平和を求める祈り

最近アッシジを訪れた方がお土産に本のしおりをくださった。表には聖フランシスコ像の写真、裏には「平和を求める祈り」の英語版が印刷されていた。 私は長い間、聖フランシスコが嫌いだった。それは先の祈りが彼のものとされていたからである。とくに嫌いだったのが、つぎの文言である。    わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、    自分を捨てて死に、 永遠のいのちをいただくのですから。 因果応報が根底にある。私の信じる神さまは、そんな方ではない。 何年も前になるが、たしか『アッシジの丘』という写真集に門脇佳吉神父が書いておられた記事から、先の祈りがフランシスコによるものではないことを知り、彼に対する偏見が解けた。 この祈りの成り立ちについては、現在、Wikipedia に詳しく記されている。以下、部分的に引用する。(太字は私個人がつけた。) 今日、広く世界で「聖フランシスコの平和の祈り」として知られる祈祷文は、 1912年 、第一次世界大戦前夜のフランスのカトリック信徒団体「聖ミサ連盟(Ligue de la Sainte-Messe)」の発行部数8000部の月次報告書『鈴(Le Clochette)』の中に「ミサにおける美しい祈り(Belle prière à faire pendant la Messe)」として無署名で発表されたものが 初出 である。掲載された報告書の中には、その祈祷文についての一切のコメントは無く、 聖フランシスコへの言及もない 。 しおりのお土産をもらってから、このことを書きたい、書きたいと思いながら、今日になった。今日は、くすしくも聖フランシスコの祝日である。

100歳の願い

100歳になったばかりのシスター。乗っている車椅子に最近プラカードがつけられた。 「一生懸命こいでいます。どうぞ見守ってください。」 車椅子がよたよたと動いているのを見かけたら、つい押してあげたくなる。でも、大切なのはご本人の希望だろう。押しつけの親切ではなくて、本当の手助けをしたいものだ。

最善の贈り物

 今道友信氏の書かれた『出会いの輝き』で出会ったエピソードが心に残った。 フランスで学んでいた氏が、帰国する前、師事していた哲学者ガブリエル・マルセルに挨拶に行ったところ、 「人間が人間に贈ることのできる最善の贈り物は何でしょう」 と尋ねられた。そして、ご自分で 「それはいい思い出です」と言われた。「どんなものでもこの世のものは結局は滅びていく。壊れていく。しかし、いい思い出はその人が意識を持っている限り一生続くものです。語り伝えられれば、その人の死後も続く。お互いに他人にいい思い出をあげられるような人間になりたいものですね」

コルベ神父と日本

イメージ
何年も前のことになるがアメリカに住んでいた時、一人のシスターがコルベ神父の大のフアンだった。マキシミリアン・コルベが本名だけれど、彼のことをマックスと呼んで、「マックスに頼めば、なんでも望みをかなえてくれるよ。駐車スペースまで見つけてくれる」と言って、彼の像のはがきサイズのカードをくださった。 私がコルベ神父について知っていたのは、アウシュヴィッツで処刑されようとしていた人の身代わりに飢餓房に入ることを申し出た人ということだった。 シスターを信じて、困ったときにはマックスのカードを取り出してはお願いをしていた。いつも助けられた。 修道院の談話室には新聞などを置くテーブルがある。2024年9月号の「聖母の騎士」という冊子をぐうぜん手にして、この冊子がコルベ神父によって創刊されたことを知った。コルベ神父が日本にいた!!! 神父は1930年4月に4人の仲間たちと長崎に到着している。日本人の留学生との出会いがきっかけであったらしい。5月には、日本語活字で「聖母の騎士」第1号を1万部発行した。1936年5月、修道院長に選ばれ、ポーランドに帰国する。ポーランドがナチスにより占領され、反ナチスとみなされて1941年逮捕され、アウシュヴィッツ収容所に入れられた。その後は、私も知っている。 「コルベ神父って日本にいたのだって」 食事の時のおしゃべりで私が言ったところ、 「知らなかったの?」 とあきれられた。

天地創造と母マリア

 8月22日(木)は天の元后聖マリアの祝日だった。夕方にミサのために来てくださった神父が、 「神学校で習って覚えていることが二つあります」 と、ユーモアを交えて話された。 「神さまは天地を創造なさった。しかし、救うことはできなかった」 マリアさまがイエスの母になることによって、救いがもたらされた、という意味だった。そうだなと思う一方、私もそうなのだ、と心のなかで思った。神さまは何かの目的のために私をこの時、この場においてくださった。私が私なりに生きることによって、天地創造が完成されていく。私ばかりでなく、すべての人にとってもそうなのじゃないか、と思った。

望みあれば

元気なころ、シスター○○は毎日のように自分の部屋のもよう替えをしていた。小柄なのに、大きな家具を小さな部屋のあちこちへと移動させる。 こちらの介護施設に越してきて、ベッドを部屋の反対側へ動かしてほしいと、スタッフに頼んだ。「できません」と言われたので、今日はベッドの右側半分に、次の日は左側半分に寝る、というふうにしていた。 望みあれば、道あり。  ですね。