「マーテル・アドミラビリス」の祝日
「マーテル・アドミラビリス」と名づけられた聖母マリアの絵の原画は、ローマ市内のスペイン広場にある聖心女子学院の壁画で、十九世紀半ばごろ、一修道女によって描かれたものです。この聖母像は、学院の創立者、聖マグダレナ=ソフィア・バラ(1779-1865)が目指した女性の理想像を表すものとして親しまれてきました。1801年、フランスのアミアン市に最初の聖心女子学院が創立されて以来、いまや世界各国に広がり、200余りある聖心女子学院のどの姉妹校を訪れても必ずこの聖画を見ることができ、その創立者の教育理念の精神を伝えています。 この絵は、<希望>のある未来を示すあけぼのを背景に、ふと手仕事をやめて、心を神にささげる若き聖母マリアの姿です。バスケットの上に伏せられた読みかけの本によって示される<学問>への関心、手にする糸紬ぎ機に表される<労働>の尊さ—ここに祈り、考え、働くという基本的な人間の生きる姿勢が描かれています。また傍らに咲くユリの花は、<清純>の徳を表しています。神を信頼して生きた聖母マリアのように、命をはぐくみ、大切にし、神と人への愛にこたえていく女性の品位と使命を象徴しています。 10月20日は「マーテル・アドミラビリス(=感ずべき御母)」の祝日だった。上記の文章は、聖心会日本地区のホームページからの引用である。画家が象徴的な表現を通じて伝えようとするものは理解できる。しかし、最近の私は、もっと生(なま)のマリア像に心を惹かれる。 歴史的に考えれば、西暦元年頃のユダヤの社会で女性は人格を認められていなかった。イエス自身が「たかが大工の子ではないか」と言われたのだから、その母は「たかが大工のかみさん」である。 その人が神の子を産む。私は、聖書にある受胎告知の記述は後世の理解だと考えている。こういう考え方は異端ではない。聖書学者でもあったシュヴァイツァー博士は、聖書のイエス伝中、歴史的事実と確認できるのは、2つだけという。(1)イエスの十字架上の死、(2)その後の弟子たちの離散。 マリアが見下げられた身分の女性であったと考えるとき、私にとってマリアは身近な方になる。マリアが神の子を宿したように、庶民の私たちも神のいのちを自分の中にいただいている。その命をこの世にもたらすこともできる。 できる ようでありたいと願っている。