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子どもの心

         いのちさんへ          いつもぼくのために    やすまずうごいてくれて    ありがとう    いのちさんこれからも    がんばってください    きみのおかげで    いまもいきています          ( 小2) 小学2年生の男の子の「いのちさんへ」という上記の詩に驚かされた。子どもの詩を集めた『ことばのしっぽ』という本で見つけた。小学2年生にもなればいのちについて書けるのだ。私は自分がいのちに生かされていること、またそれに感謝することを考えもしなかった。    おとうちゃんは    カッコイイなぁ    ぼく おとうちゃんに    にてるよね    大きくなると    もっとにてくる?    ぼくも    おとうちゃんみたいに    はげるといいなぁ          (小1) 「お父ちゃん大好き」というタイトルの詩は、お父ちゃんへの愛にあふれている。フフフと笑いながら、大人の価値観と関係がないことにハッとする。 

♪愛のわざ♪

私の属している修道院は全員がなんらかの介護を必要としている。毎週木曜にはコロンバン会の神父がミサに来てくださる。その他の日は集会祭儀をする。集会祭儀とは「ミサもどき」と呼んだりするが、ミサの式次第を使って、司祭ではない者が司会をする。聖体拝領は聖櫃(せいひつ)に安置してあるご聖体を、司会者が一人ひとりに配る。 ここのところ暑くなってきて、私たちが集まる小聖堂も冷房を入れている。私は冷えから腸閉そくに3度なったこともあり、冷房を避けて聖堂の入り口近くの外側に、スツールを置いて座っている。 きのうのことだった。聖体拝領のため中に入った。司会者の人がすでに中にいる人たちに聖体を配っている。入り口近くに遠慮がちに立っていると、中にいた一人のシスターが司会者の人に私を指さしてくれた。 93歳になるその人は、脳こうそくの後遺症で歩行器を使っていて、認知障害もある。その人のこのような細やかな心遣いに驚きもしたが、胸がポカポカした。    ♪愛のわざはちぃさくても     神のみ手がはたらいて     悩みの多い世の人を     明るくきよくするでしょう♪ この讃美歌を思い出すできごとだった。

世界一のはさみ

TV番組「YOUは何しに日本へ」をよく見る。番組の記者が、成田空港や関西空港に到着する外国人に「YOUは何しに日本へ」とたずねる。どんな目的、どんな興味で日本に来たのか答えるYOUたちから、これまで知らなかった日本を教わる気がする。 先日見た番組で心に残ったのは、デンマークの男性美容師さんだった。ヘアカット用ハサミは日本のものが最高級だとのこと。切れ味がよく鈍(ナマ)りにくい。日本刀を作っていた伝統が残っているのかもしれない。燕三条の製造工場まで行って、職人さんが刃を研磨する過程など、 ハ サミの製造過程を見せてもらっていた。社長さんは工学博士だった。ハサミを2本買って、大喜びであった。 「YOUは何しに日本へ」が放映される時間にテレビが見られるわけではないので、私はパソコンでTVerを使う。 テレビ配信サービスで、民放テレビ局で放送された番組を放送がおわってからも一定期間内無料で見ることができる。 この文章を書いていて、Tver ではなく、TVer だと気づいた。表記はどちらでもいいのだろうけれど、TV(=テレビ )の文字が入っていることに気が付いた。

思いだす

祈っているときに心に浮かぶことがある。いろいろあるけれど、人を傷つけたことが心をよぎり、辛いことがある。取り返したり、やり直したりできない。悲しくなる。祈りのなかでお詫びを言って、その人のために祈る。 さいきんつぎのような遠藤周作の言葉に出会った。 「ひとつだって無駄なものはないんです……ぼくが味わった苦しみ、ぼくが他人に与えた苦しみ…‥ひとつだって無駄だったものはないんです」 「他人に与えた苦しみ」が無駄でないことがあるだろうか。それを思い出すとき、「許してください」と今は直接に伝えられない場合、神さまを通して届ける。神さまに向かうきっかけになっている。年を取るにつれて、思い出すことも増える。申し訳ない思いは、無視するのではなく、鬱になるのでもなく、大切に受け止めたいと思う。 今日は聖霊降臨の祝日である。カトリック教会では、聖霊の賜物には7つ、実(ミ)が12あるとする。    賜物=上知、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、主への畏敬   実= 愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、謙譲、誠実、柔和、節制、貞潔 私たちの修道院では、この日に聖霊の賜物と実(ミ)を印刷したカードを各人が引く習慣がある。今朝私が引いたのは、賜物は「賢慮」、実(ミ)は「平和」だった。どちらも必要としている実感がある。

土も疲れる

5月31日付の朝日新聞朝刊に、記者の近藤康太郎氏がコメの生産について書いておられた。氏は記者を続けながら、コメ造りをしておられる。 ――石破首相はコメの減反政策から増産にかじを切る考えに同意したそうだが、水道の蛇口をひねるみたいに、簡単に増やしたり減らしたりできるもんかい。米を作る百姓が高齢化しているうえに、長い目で見れば、土だって年老いていく。(中略)人類は、地球から簒奪(サンダツ)して生きているんだ。でかいつらすんな。遠慮して、土を掘れ。ありがたく、おまんまを食え。―― 「土を耕しすぎると、10年もしないうちに厚さ1センチメートルの土が簡単に失われる」とも書かれている。 旧約聖書のレビ記25章4節には、土の安息年が定められている。    7年目は、地の全き休みの安息、すなわち主の安息となる。 西暦元年前の人々が知っていた知恵を、私たちが失うことがありませんように。

母なるイエス

それこそ半世紀ほど前、アッシジで3か月ほどを過ごした。終生誓願を立てる準備のために、28名のシスターのヒヨコたちが7ヵ国ほどから集まっていた。スペインとアメリカから7,8人ずついたが、日本人は私だけ。共通言語はフランス語だったが、フランス人は一人もおらず、たがいに身振り手振りをまぜた会話だった。英語が通じたため、一人のアメリカ人とよくおしゃべりをするようになった。その人が Julian of Norwich が好きだと言ったことがあった。 なぜかその名前が記憶に残っていた。いつか読んでみたいと思ったが、そのうち、そのうち、と思っているあいだに半世紀が過ぎた。さいきんになってふとその名を思い出し、本を手に入れた。英語のその本は、アマゾンから届いてからも、机の上に置かれたままになっていた。 ノリッジのジュリアンについて、くわしいことはわかっていない。 名前は彼女が生活していたノリッジにあった ジュリアン教会に由来している。30歳のとき、大病を患い死の床にあったとき、一連の幻視(ヴィジョン)を見る。その2,30年後、十四世紀の終わりに、受けた幻視とそれについての自分の理解とを書きおろした。 Revelations of Divine Love (= 神の愛の十六の啓示)は、 女性によって英語で書かれた最初の本とされる。 読み始めてみると、神のいつくしみがどれほど深いかを、せつせつと書きつらねている。強く印象に残るのは、 たびたびイエスを Mother と呼ぶことである。    Jesus our Very Mother    our precious Mother, Jesus    our tender Mother Jesus    our heavenly Mother, Jesus などなど。 人を慈しみ、養い、導き、育てる存在として、58章、59章、60章、61章などで、くり返しイエスを母と呼ぶ。 カトリック教会では、ジュリアンは福者とされている。遠藤周作がカトリック教会の伝承のなかにこのような人がいると知ったら、喜んだことだろう。   概説 [ 編集 ] 彼女の生涯についてはほとんどわからない。名前すらも正確でなく、ジュリアンという名前は彼女が観想生活を送っていた ノリッジ...

老いについて

大学時代の同級生のご主人で現在、訪問診療をしていらっしゃる方から、聖書は「老い」について何と言っているかと尋ねられた。すぐに思い浮かばず、そう返事をすると、「『あなたが若かった時には自分で帯をしめて行きたいところに行くことができた。しかし、年をとると、あなたは両手を延ばし、他のものに帯をしめられ、行きたくないところに連れていかれるであろう』(ヨハネ21章18節)という言葉があるけれど」とのメール。 「そのとうりですね」と返信したけれど、何か物足りない思いが残った。人間的なつながりだけを見ればそうだけれど、神さまとの関係ではどうなのかが問いとして残った。少し調べてみた。今私の心に残っているのは、聖書の次の言葉である。    あなたたちは生まれたときから負われ    胎を出たときから担われてきた。    同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで    白髪になるまで、背負って行こう。    わたしはあなたたちを造った。    わたしが担い、背負い、救い出す。 (イザヤ書46章3⁻4節) 私たちの人生は白髪になるまで神さまに背負っていただいている。なにかホッとする。

被爆の残像

 ――広島で原爆にあい、瓦礫のなかから、私の父は妻か3歳の長女のどちらかしか助けられなかった。妻を助ければ、また子どもが生まれることもあるだろうと、妻を選んだ。その後、二人の女の子が生まれた。それが私の姉たちです。二人とも膠原病でした。―― 中3の時の教え子さんで、現在70代半ばの人から聞いた話である。長い間の付き合いがあったにもかかわらず、最近になって初めて聞いた。妻か長女を選ばなければならなかったお父さんは、どんなにつらかったことだろう。お父さんの心情も含めて、彼女にとって辛い記憶であろう。原爆は、今も人の心に痛みと悲しみを残している。

散歩道

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聖週間と復活祭

聖週間と復活祭が終わって、やっと日常生活に戻った感じである。濃厚なというか、あわただしい一週間であった。聖土曜日夕のミサが心に残っている。司式司祭が朗々と歌い、しっかりとした足取りで散水をされた。一時間半ほどかかる式で、ふつう私は退屈してしまうのだが、今回はそんなこともなかった。後で聞いたところ、司祭の名はキエサ。89歳になっておられると知ったが、みじんもお年を感じさせなかった。 翌日朝9時の復活祭ミサも大聖堂で行われた。私は大聖堂の後ろの方に座った。長いミサでは、途中でトイレに行きたくなることがあるからだ。クリスマスのミサほどではないが、けっこう大勢の人が参加しており、聖体拝領の行列も長かった。聖堂の後ろに座っていた私は行列の後ろの方になる。司祭の前に行って司祭が手にもつチャリスを見ると、5ミリ四方くらいのかけらが五つ六つ残っているだけ。その一つ二つをつまんでもらった。人生初体験である。多くの聖体拝領があったのは喜ばしいような、ちょっとわたし的にはわびしいような。

イエスと笑い

ドミニコ会司祭である米田彰男神父による『イエスは四度笑った』(筑摩書房、2024年)を読んだ。同書によると、『ユダの福音』という写本が存在するそうである。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる正典福音書成立直後に書かれたらしい。『ユダの福音』のなかで、イエスが四度笑っている。米田神父は、その笑いが、史的イエスの笑いではなく、異端グノーシス派の思想によるものであることを論証している。 それでは、イエスは笑ったことがなかったのだろうか。同神父は正典福音書に記されていないだけであろうとし、イエスのユーモアをかいま見せる言葉を拾っている。 米田神父著の同上書から私が初めて知ったことがあった。「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」というイエスの言葉の意味である。相手の右の頬を打つには、打つ方は右手の甲を使う。それは上位にあるものが下位の卑しいものを打つ時のやり方である。左の頬を出せば、こぶしで殴るか平手で打たなくてはならない。それは人間として対等であるものに対する暴力である。 イエスの聴衆は虐げられた貧しい人々であった。その人たちに、イエスは反逆する暴力でも忍従でもない、第三の道をすすめた。人として対等に扱われることを求める、第三の道を示した。

本当?

ケニアで30年間働いて、70歳で日本に戻ってきたシスターの話。 ――妹がケニアに来てくれた時、手に水を入れたコップをもって赤道の北側と南側に立った。すると水はそれぞれのコップのなかで反対周りになった。私のコップの水が時計回りだとすると、妹のコップの水は逆回りになる。―― 「どうしてコップの水が動き出すの」とたずねると、「磁気で動き出すのじゃないかしら」という返事。 本当かしら?という感じになる。そのシスターは認知症ではない。嘘を言っているわけでもないだろうし。