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姿を消すスズメ

ミソサザイについて書いた9月3日のブログで、スズメを見かけない気がすると書いた。9月8日の朝日新聞朝刊の記事で、私の気のせいでないことを知った。 ーー環境省と日本自然保護協会の調査による2024年10月に発表された内容のまとめによると、15年度以降、スズメは1年あたりマイナス 7.4%と急激に減っている。減少率だけで見ると、絶滅危惧種の判定に相当する減り方である。また、08年度から22年度のデーターを解析すると、スズメの個体数が、15年のあいだに約40%減っているーー AI などの技術的な発達と並んで、自然界は次第に貧しくなっているのだろうか。私たちの生活の質はより豊かになっているだろうか。疑問になる。  

言えなかったことば

「英語が話せないんです」情けなくて…という感じで若い人が言った。その場にいた私と同年配の人が「英文科卒なのに?」と言った。 すでに惨めな思いを話している人に対して、ひどいことを言うと思った。でも、どう言えばいいのか、言葉ば見つからない。黙ってその場にいた私は、その言葉に賛成していたことになる。 そろそろ卒寿を迎える私たちが学生のころ、聖心大の一年次生は、8時から10時まで10分の休み時間をはさんで英語授業だった。一学年110人くらいの時代で、能力別に10クラス位に分かれていた。10人そこそこのグループで英語国人のシスターに教わった。当時、土曜日にも授業があったと思う。語学学校のようなもので、うまくならなければおかしい環境だった。さいきんの状況とは、全く違う。 それに英語が話せるからって、別に上等な人間であるわけでもなし。私のなかでいろいろな思いが重なり、言葉にできなかった。 今になって、そのまま「なんてことを言うの」と言えばよかったと思う。自分にダメ出しをしたくはないけれど、やっぱり後悔する。

戦争トラウマ

戦後80年になって、近頃の新聞で戦争トラウマについての記事をたびたび見受ける。そのたび、私が娘時代に通っていたカトリック教会の司祭を思い出す。主任神父はアメリカ人で、その人は助任だった。戦時中、一兵卒として従軍したが、戦後、司祭職に戻られたと聞いていた。夜中になると大声で叫ぶといううわさがあった。 あるときからこの方の姿が見られなくなった。司祭をやめられたとのことであった。辛くて苦しい記憶を抱えておられたのであろう。 名もない多くの人にも、戦争の残酷な爪あとは残っているのだろう。知る人もなく。

ミソサザイ!?

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私の部屋は3階にあり、中庭に面している。木々がうっそうと茂って、部屋の窓の前まで伸びている。朝6時半ころ、部屋で窓に向かって祈っていると、この木に小鳥たちがやって来るのが目に入る。まっ黄色だったり濃いブルーだったり、見たこともないような鳥たちのことがある。東京生まれ・東京育ちのシスターに尋ねると、近くにある目黒自然教育園にいる小鳥ではないかという。 2・3日前に来た鳥は、スズメより小さかった。しゅんかん、「ミソサザイ」と思った。自信はないけれど、80% そうだと思う。次の日も来た。チョコチョコと姿を見せたが、すぐに見えなくなった。 自然が少ないと思っていた東京で、こんな小鳥たちに出会えるのは嬉しい。それにしては、このごろスズメをあまり見かけない。

最大の社会貢献とは?

「自分へのダメ出しをやめると、自分だけでなく他者や社会にも優しくなれます。だから最大の社会貢献は、自分と親密になることなのです。」 一緒に住んでいるシスターが「ちょっと面白そうだから買ってきた。まだ読んでないけれど、先にどうぞ」と、貸してくれた本からもらったメッセージ。題名は『なぜか惹かれる人の話し方100の習慣』(藤本梨恵子著、明日香出版社)。 自分へのダメ出しをやめ、あるがままの自分も受け入れることで自他ともに愛することができる、という著者のことばは、聖書の「自分を愛するように、人を愛しなさい」という言葉を思い出させる。自分を愛さなければ、人を愛することはできない。そのためには、自分へのダメ出しをやめることを著者はすすめる。 また、完璧主義から適当主義になりリラックスして本領を発揮する、心が引き潮のときは一人の時間をもって英気を養うこと、などなど具体案を提示している。 教わることがたくさんあった。

子どもの視点

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8月19日の朝日新聞朝刊にのっていた記事に笑ってしまった。鷲田清一さんが選ばれる文章はいつも秀逸だ。それもあらゆる文書から選ばれる。  

残暑お見舞い

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  右画像のような残暑お見舞いのはがきをいただいた。カラスと坊やがおしゃべりしている感じがする。カラスはいかにもいたずらっこぽい。 ずっといぜん、下町に住んでいたことがある。家々が連なり緑が全くない。緑を探して歩いていたら、木々が茂るお寺を見つけた。お寺裏の墓地をうろついてたときに見た光景を思い出した。 カラスが、プルトップ缶の開口部分をくわえ、そのまま2メートルほど飛び上がり、そこから落とす。石畳みの上に落ちた缶がカラカラと音を立てる。またくわえて飛び立ち、落とす。それを繰り返していた。音を楽しんでいたのだろう。ガーコと出会うずっと以前のことである。 このはがきは今も私の机の上に置いたままである。スヌーピーのぬいぐるみと並んで。

坊やから神父へ

ミサに毎土曜日夕方来てくださっていた神父が、移動になって来られなくなっていた。だいたい、どこの教会でも土曜夕はそこでのミサがあるから、こちらに来ていただくのはむつかしい。困っていたところ、葛西教会から連絡をいただき、「行きましょうか?」とのこと。8月になってから葛西から若手のフィリピン人のチャーリー神父がミサに来てくださっている。日本語もペラペラ。葛西から渋谷区広尾まで、たとえ車を使うとしても、けっこうな距離だ。本当にありがたい。 チャーリー師が来てくださるようになって分かったことなのだが、葛西教会の主任神父は柴田とおっしゃる。食事のとき同じテーブルのシスターが、「かわいい、かわいい柴田君」とか言う。シスターが若いころ名古屋で働いていたとき、教会でみんなに可愛がられていた坊やだったという。 葛西は外国人労働者の多い地域だと聞く。柴田神父もチャーリー神父も、ともにアウグスチノ修道会に属しておられる。教皇レオ14世と同じ会である。恵まれない方たちのために働こうと、この地区を選ばれたのだろう。

新しい洗濯機

ときどき動かなくなる洗濯機をだましだまし使ってきたけれど、ついに動かなくなった。いつ購入したのか記録が残っていないから、たぶん、いまの共同体が始まって以来のものだろう。ということは、2001年か。去年私の部屋のエアコンが動かなくなり、とりかえになったが、そのとき2001年の機種だったとわかった。たぶん、洗濯機も同じくらいのものだろう。 新しく来た洗濯機は以前のより少し小ぶりである。でも容量は5キロとある。以前のものは4,5キロだった。使い始めておどろいたのは、25分くらいで洗濯が仕上がることだ。これまでは50分かかっていた。電気や水の使用量も少ないに違いない。また洗濯が終わったあと、洗濯槽内の糸くず袋に入っているごみが少ない。衣類の傷みも少ないのだろう。 新洗濯機さまさま、である。

脳はなにげに

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いぜん友人が貸してくれた『脳はなにげに不公平』という本を読んで、一つだけ覚えていることがある。私たちが嬉しいときや笑っているときには、くちびるの両側(=口角)が上がる。明るい気持ちでないときでも、口角を上げると、脳がだまされて、嬉しい気分になるという。 私が自分で気づいたのは、笑顔を見ると、こちらも笑顔になることだ。だからというのでもないのだけれど、いぜんから私はスヌーピーの漫画が大好きだった。それで最近、スヌーピーのぬいぐるみを手に入れた。18センチくらいの大きさのものを、机の目の前においている。チャーリー・ブラウンの嬉しげな顔がふと目に入ると、ニヤッとなる。たかがぬいぐるみだけれど、笑顔は笑顔を呼ぶ。

ことばの違い

先日、半世紀以前に教え子さんだった方たち数人とおしゃべりに花を咲かせた。「シスターは以前、パーラーのことをお客間とおっしゃいました」と一人が言った。そのことは覚えていなかったが、私が「運動場で‥‥」と言ったら、「えーー、グラウンドでーーす」と返されたことはよく覚えている。 私が大学に入学したとき、生活指導のシスターが「 オヒノシ をお部屋でお使いになってはいけません」とおっしゃったとき、私もエーーと思った。アイロンのことだろうと想像はしたけれど。 入学して2週間はオリエンテーション・ウイークだった。構内案内、図書館の使い方などなどのほか、聖歌練習もあった。聖歌練習のとき、指導のシスターが「復活したキリストに弟子たちが出会ったことを歌う聖歌です」といって、その物語を話された。 ――イエスが十字架上で亡くなり、悲しみ失望した弟子たち二人がエルサレムから逃れてエマオに向かっている途上、復活したキリストに出会います。「主よ、どうぞ私たちとともにとどまってください」と願うのが、ラテン語の歌詞の意味です。――  1953年当時、聖書を直接読むことは許されていなかった。「イエス伝」とか「キリスト物語」とかしか知らなかった。ましてやキリストの復活についての話とかは、それまで知らなかったように思う。 Mane nobiscum, Domine という歌が、心に沁みた。今も大好きな聖歌である。入学まもないころで4月だから、復活節でもあっただろう。

さりげなく

建物の入口の前で折りたたみ傘をたたもうとして、もたもたしていた。前を通りかかった若い女性がすっと近づいてきて、傘を手に取り、たたんでくださった。「ありがとうございます」とは言ったものの、その方の動作のさりげなさに驚かされた。 私だったら?と思わずにいられなかった。大きなことだったら、何かできることならと近づかずにいられなかっただろう。ささいなことだけに、見知らぬ人に近づき、その持ち物に手を出す前にあれやこれや考えるだろう。その2,3秒のあいだに、問題は解決してしまっているかもしれない。 温かい心遣いは、私の心にホンワカとしたぬくもりを残してくれた。2,3日前のできごとなのに、今も忘れられない。